
”正しい”はずなのに
頭では納得しているのに、なぜか進めない。
間違っていないはずなのに、どこか苦しい。
自分で選んだ道のはずなのに、自分の人生を生きている感じがしない。
そんな感覚を持ったことは、ありますか?
人生の大事なことを考えるとき、まず頭で整理しようとしますよね。
情報を集め、比べて、納得できる答えを探す。
それは大切なことですし、必要なことでもあります。
ただ、本当に大事な選択になるほど、頭だけで結論を出そうとすると、かえって噛み合わなくなることがあります。
頭では「これが正しい」と思っている。けれど、体はどこかで納得していない。
逆に、不安はあっても、なぜかその方向が気になって仕方がない。
そんな経験はありませんか?
まだ言葉になっていない反応
たとえば、なぜか惹かれる場所。
初めて会ったのに、どこか懐かしく感じる人。
条件だけで考えると間違いないはずなのに、前に進めない感覚。
こうした反応は、単なる気まぐれではないことがあります。
まだ言葉になっていないだけで、自分の深いところでは、すでに何かを受け取っているのかもしれません。
人は、自分のことをわかっているつもりでも、実際には「説明できる自分」ばかりを見てしまいがちです。
けれど、その人らしさや進む向きは、説明より先に、もっと小さな反応や気づきとして現れることがあります。
言葉が詰まるところ。
思うだけで、少し力が入るところ。
なぜか強く惹かれるところ。
理由は言えないのに、消えない違和感が残るところ。
そこには、その人にとって大切な選択が潜んでいるかもしれません。
私が見ているもの
私はBG5のアドバイザーとして、そうした反応に意識を向けています。
表面に出ている悩みや出来事だけではなく、その人の内側で何が動いているのかを見る。
私が見ているのは、頭で考えた答えそのものではなく、その人の内側にある“運転手”が、どちらを向いているのかということです。
BG5では、その運転手は思考ではなく、「アイデンティティと方向性の機能」に深く関わっていると言われています。
アドバイザーは、そこに自然と焦点が向きやすいタイプなんです。
BG5のセッションでは、話の内容の奥にある手がかりを、一緒にたどっていきます。
結果的に、セッション前から見えていた選択肢があり、「やっぱりそうなんですね」となることもよくあります。
それはまさに、腑に落ちる、という表現に近いです。
その納得感をみたとき、私も成功の感覚に包まれます。
体は知っています
では、体のどこに意識を向ければ、自分にとって腑に落ちる選択に近づけるのでしょうか。
これは、人によって様々なのです。
BG5では、その人に合った決め方が、はっきり示されています。
まだ言葉になっていない感覚。
説明はできないのに、どこかで知っている人生の向き。
もし今、頭ではわかっているのに、人生が噛み合わない感じがあるなら。
それは、自分の内側が、何かを伝えようとしている合図かもしれません。
ただ、その感覚を無視せずに受け取ってみる。アンテナをはり、気づいてあげようとしてみてください。
そこから、見えてくるものがあるはずです。
あなたの頭、思考、意識は、あなたの運転手ではありません。
運転手である体に乗った、乗客が、あなたの意識です。(と言われて、どう感じますか?)
運転手に身をゆだねると、とてもリラックスできますし、可能性の幅がグンと広がる。そう思います。
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